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丸八窯  

profile

清水義久(しみずよしひさ)

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清水義久(しみずよしひさ)

五代目
生まれ年:1975年
作陶開始年:2005年

学歴・修行歴
1988年 甲南大学経済学部 卒業 
2000年 陶芸家 松崎健 氏に師事 

The state of the workshop

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Works

撮影:青谷 建

Interview

土と炎をシンプルに突きつめ、暮らしに寄り添う。使い手の日常になじむ丸八窯・清水義久のうつわ 

普段づかい食器の用の美と、作家として追求する自然美 

清水義久さん(以下、義久さん)は窯元のうつわと並行して、「子どもの成長に応じて使ってもらいたい」と願いをこめて作った、6色・3サイズのオリジナルお茶碗シリーズを展開する。見た目の印象と手に取ったときの質感を大切に、日常的に手になじむ食器を作っている。 

また、個人作家としては伝統的な古丹波に見られる自然釉の美しさを、花器や壺などの作品で追求する。 

薪窯の炎でうまれる灰かぶりの風合い。その表情は、人工的には決して作りだせない深みと力強さが宿る。

「焼きあがりは偶然の結果ですが、そこにたどり着くために窯の温度を緻密に調整しています」 

一般的に高温とされる1300度まで上げるのではなく、あえて1250度前後という絶妙な温度域で数時間をキープし、その後は1200度前後でじっくりと時間をかけて焼き続ける。 

この「適切な温度下での長時間焼成」が、土に、その時限りの豊かな表情を生み出す。窯のなかでどんな変化が起こっているのかわからないものの、積み重ねてきた経験値で窯内環境を予測し、その一歩手前までを徹底した計算で埋めていく。自然の力と義久さんの知見による化学反応は、作品に静かな迫力を与えている。 

警察官の夢をあきらめて、陶工の道へ 

義久さんは、清水家に70年ぶりの男の子として生まれた。両親からはなにも言われないものの、周囲からは丸八窯の後継ぎとして大きな期待を寄せられているのをひしひしと感じていた。 

小学生の義久さんの「行ってきます!」と「ただいま!」の挨拶が響くのは、家ではなく工房のなか。それほどに工房は毎日当たり前に通り過ぎる場所だった。学校から帰れば職人や手伝いの女性たちが「おかえり」と迎えてくれ、そのまま友人たちと田んぼや川、山に遊びに行くやんちゃな子ども時代を過ごした。 

高校生になると周囲からの期待を感じつつも、子どものころからなりたかった警察官になろうかなと思うようになる。

「警察官になりたくて法学部を受験しましたが、力及ばず不合格。最終的に経済学部に合格し『卒業後は、焼きものの道だな』と腹をくくりました」  

大学卒業後はいったん家業で1年働くもののなかなか身に入らない。深く学ぶために京都で陶芸を勉強した後、いずれ作ってみたいと目標に据えた古丹波の風情に似た作品を作る、栃木県の益子焼の個人作家のもとへ弟子入りする。

そこでは家業の量産体制では学べない工程をいくつも経験した。粘土の精製から天日干し、石臼での作業、そして足で踏んで土を練る工程といった具合。この下積み時代が、義久さんの焼きものへの基本的な考え方や技術の基盤になった。 

成長につれてお茶碗を買いに来てくれた男の子

ある年の丹波焼陶器まつり。小学校就学前の男の子が、6色3サイズ展開のオリジナルお茶碗を買いに来てくれた。そのときはいちばん小さなサイズの赤色を選んだ。数年後にその子が再び来店し「小さくなったから」と中サイズの違う色を、さらに数年後に「いちばん大きいのを」とまた違う色を買いにきてくれたという。 

「色を選ぶ楽しみと、成長に合わせて使ってもらえるようにという思いで作った茶碗シリーズ。ずっとうちのうつわを選んでくれたこと、同時に男の子の成長も見せてもらえたことが本当にうれしかった。ずっと忘れられません」 

義久さんは、2人の子どもの父親としての顔も持つ。数年前までは息子さんの野球の試合の応援に駆けつけるのがなによりの楽しみだったと笑う。 

最後に丹波焼と立杭について聞いてみた。 

「丹波焼は、窯元ごとの個性が光る焼きもの。“兵庫県の焼物”として関西圏以外のより多くの人に名前を知ってもらいたいですね。立杭の山の近さと秋の紅葉や初夏の新緑といった自然がみせる美しさも魅力。陶芸体験がてら土地の空気感も楽しんでもらえれば」  

Overview
of

丸八窯

Address

〒669-2135 兵庫県丹波篠山市今田町上立杭363-1

Website

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