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市野悟窯
profile
市野哲次(いちのてつじ)

profile
市野哲次(いちのてつじ)
四代目
生まれ年:1964年
作陶開始年:1983年
学歴・修行歴
京都嵯峨美術大学
瀬戸訓練校
主な受賞歴
日本伝統工芸展 入選
日本陶芸展 入選
茶の湯の造形展 入選

The state of the workshop
スクロールできます










Works


撮影:青谷 建
Interview
手が動くままに線を描いて。市野悟窯・市野哲次が試行錯誤してたどり着いた「彩色線象嵌(さいしょくせんぞうがん)」で描く軽やかなリズム
丹波の土が受けとめる、丁寧に刻む1本1本の線
メイン通りから少し入った丘の上に、まるで隠れ家のように市野悟窯は佇む。 工房の棚には、静謐な藍色から、どこか春を思わせるような柔らかな色彩のうつわが整然と並ぶ。表面には、ユニークな模様が繊細に施されている。手に取って模様をなでると、細やかな溝の感触が指先に伝わってくる。
この技法の名は「彩色線象嵌(さいしょくせんぞうがん)」。素地に刻んだ溝に色をつけた化粧土を埋め込み、再び削り出すといった非常に細やかな手法である。哲次さんが十数年の模索の末にたどり着いた、流れるような線の表現だ。
「最初は『掻き落とし(かきおとし)』という、全体に塗った化粧土を削る技法をやっていたんです。でも、公募展に出してもなかなか通らなくて。何年も苦戦しました」。哲次さんは少し照れくさそうに、けれど穏やかな口調で当時を振り返る。

自分にしかできない表現とは何か――。ふと、ひらめいた。それまでの「面」で捉える装飾から、ふっと力を抜き、フリーハンドで「線」を描いてみた。
「他の人がやっていないこと――。定規を使わず、手が動くままに流れるようなイメージで。それが公募展に入選して、自分の作品になっていきました」
哲次さんの描く線は、わずかに揺らぎ、強弱がつき、まるで風や水の流れをうつわに閉じ込めたようなリズムを感じられる。細かすぎず荒すぎない丹波の土の質感が、哲次さんが彫り込む線の深さをしっかりと受けとめている。

陸上少年からやきものの道へ
今でこそ独自の作風を確立している哲次さんだが、少年時代はやきものにはあまり関心を示さず、陸上に明け暮れていた。
「高校まで陸上部で活動していました。工房にも全然寄っていなかったですね」
進路を決める高3のタイミング、周囲の窯元の跡取りたちが京都の美術短大へ進学することを聞き、長男が継ぐという時代の流れのままに、哲次さんも同じルートで進むことにしたという。
入試に必要だからとはじめたデッサン。陸上の練習の合間に美術予備校に通いながら、鉛筆で野菜を描き、色彩構成を学び、美術短大に入学する。
「同級生の出自が備前焼とか、やきものの経験者ばかり。僕は土練りすらできなくて、ろくろの中心すら合わせられない。何をするにも時間がかかってあの時は苦労しました」
その時の焦燥感と、一歩ずつ着実に技術を積み上げていった忍耐が、今の繊細な手仕事の礎になっている。
卒業後はさらに愛知県瀬戸市で1年間学び、家業に戻った。外の世界に出たことで、立杭の四季折々の自然が見せる風景の美しさを見出せるようになったそうだ。

「ランニング」は仕事の一部。健やかな創作のために
哲次さんの朝は早い。 「うちの窯は小さいので、毎日焚いて、毎日出しています」。1250度の熱気に包まれる工房は、夏場ともなれば水を被りながらの作業になるそうだ。そんな過酷な環境での労働を支えるのは、体である。健康のために今もランニングを欠かさないという。
「ろくろを回していると、どうしても腰や首が痛くなる。だから、運動も仕事の一部だと思って走っています。夕方、日が暮れる前の山を走るのは、しんどいけれど気持ちがいいんですよ」
かつて陸上競技に打ち込んだ体は、今、うつわを作るための「資本」へと変わった。 四季の移ろいを感じながら、空気を吸い込む。リフレッシュしたその心地よさを指先に込めて線を刻む。
「お客様から、料理を盛り付けた写真を見せてもらうことがあるんです。ビールカップとして作ったものが、思いもよらない使い方をされていたりして。『こんなふうに使うのか!』という発見が新鮮です」
使い手の暮らしの中で、うつわが完成していく。その喜びが次の創作への原動力になる。



