Kilns and Firing
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穴窯と登り窯
立杭地域に残る上立杭の登り窯は、日本最古の現存窯として知られています。明治28年(1895年)に築かれ、全長は47メートル。兵庫県の重要民俗資料にも指定され、丹波焼の歴史と技術を今に伝える貴重な文化遺産です。今もその雄大な姿は、丹波焼の郷である立杭地域を訪れる人々を魅了しています。
穴窯時代(12世紀中頃〜16世紀)
中世の丹波焼は、山麓に登り窯が築かれるようになるまで、約400年の長きにわたって、山腹に溝を掘り込み、天井をつけた「穴窯」を使用する時代が続きました。
当時、このあたり(現:丹波篠山市今田地区)が摂津住吉神社の荘園で「小野原荘」と称していたところから「小野原焼」と呼ばれ、三本峠周辺の山腹に穴窯を築いて焼成されました。現在までに発見されているその古窯跡は、三本峠・床谷(とこらり)・源兵衛山・太郎三郎(たさうら)・稲荷山の5か所です。

穴窯の構造と焼成
穴窯は、山腹の傾斜地に溝を掘り込んで石や粘土で固め、天井を築いて土をかぶせるという、極めて簡単な構造です。穴窯による焼成にはかなり長い日数(半月ぐらい)を要し、また、焼成室が1室のため、1回の焼成量は限られたものでした。
穴窯時代(12世紀中頃〜16世紀)
中世の丹波焼は、山麓に登り窯が築かれるようになるまで、約400年の長きにわたって、山腹に溝を掘り込み、天井をつけた「穴窯」を使用する時代が続きました。
当時、このあたり(現:丹波篠山市今田地区)が摂津住吉神社の荘園で「小野原荘」と称していたところから「小野原焼」と呼ばれ、三本峠周辺の山腹に穴窯を築いて焼成されました。現在までに発見されているその古窯跡は、三本峠・床谷(とこらり)・源兵衛山・太郎三郎(たさうら)・稲荷山の5か所です。

穴窯の構造と焼成
穴窯は、山腹の傾斜地に溝を掘り込んで石や粘土で固め、天井を築いて土をかぶせるという、極めて簡単な構造です。穴窯による焼成にはかなり長い日数(半月ぐらい)を要し、また、焼成室が1室のため、1回の焼成量は限られたものでした。
登り窯の導入
近世における丹波焼は、慶長16年(1611)ごろ、朝鮮式半地上の登り窯が導入されたことによって、約400年続いた穴窯時代に別れを告げ、登り窯時代という新しい時代が幕を開けます。
この登り窯時代は、当初釜屋の山麓に登り窯が築かれていたので「釜屋時代」とも「山麓時代」ともよばれる時代からはじまり、さらに宝暦2年(1752)には下立杭、さらには上立杭にも登り窯が築かれる「里窯時代」へと引き継がれていきました。


登り窯の構造
登り窯の築造は、山麓の傾斜地に「そだて石」とよぶ石を並べて基礎とし、割り竹を縄で編んだものを支えとして、両側から「まくら」を半円形に積み上げます。このまくらは、山土を型に入れてこしらえた立方体の日干し煉瓦(れんが)で、現在では鉄板を支えとして積まれることが多いです。このとき出入り口や燃料の投入口も設けられ、最後に「ごぢん」とよぶ窯内部の床を厚く塗り固めて完成します。

窯は、焚き口のある「火床」に続いて焼成室が連なっていますが、火床に続く第一焼成室と「くど」とよぶ最先端の焼成室を除く、中間の焼成室の長さはほぼ均等です。この焼成室は「袋」とよばれ、それぞれ下端に出入り口が設けられています。
焼成室である袋と袋の境界には2〜4本の柱が設けられ、天井を支える役目をしています。これを「火がき」「火越し」あるいは「さま」とよびます。

窯の先端部のくどには煙出しが設けられ、これは「くど先」「火さき」あるいはその形から「蜂の巣」とよばれています。しかし、最近ではこの火さきに煙突を取り付けたものがほとんどとなり、蜂の巣から吹き出される真っ赤な炎の美しさが見られなくなりました。
窯の長さは焼成室(袋)の数によって異なり、現存する最古の窯として兵庫県の重要有形民俗文化財に指定されている上立杭の登り窯は、明治28年(1895年)に築造された長さ47メートル、袋数9の窯で、よく古様を保って使用されている代表的な登り窯といえます。かつて多数の袋をもつ登り窯は、いずれも共同窯として使用されてきましたが、昭和40年代(1965年頃)に入るころから個人窯が普及し始め、製品の小物化とともに窯の規模も2〜4袋と小型化しました。

登り窯による焼成

窯入れ
製品を焼くために窯の中に入れる工程です。製品の成形と釉(くすり)掛け、そして乾燥が終わると、製品は窯場に運ばれて焼成室に入れられます。複数の窯元が共同で窯を利用していた時代には「かまやかご」とよぶ竹かごに入れて窯場まで運ばれていました。製品を焼成室に入れる際、製品を輪台の上に置いて窯床(ごぢん)に並べます。小物は、大きなものの中に入れたり、また、サヤ(ゴウともいう)とよぶ器に入れたりします。製品を重ねて置く場合は、接続部分にモミ灰をつけたり、土を小さく丸めてモミ灰をまぶした「ハマ」とよぶ玉を間にはさみます。全ての製品が窯に入ると、入り口は「まくら」でふさがれ、粘土で密閉されます。

窯焼き(窯焚たき)
焼成である「窯焼き」は、まず温度を徐々に上げていく窯焼きの最初の段階「ぬくめ(あぶり)」から始まります。昭和30年(1955年)ごろから、ぬくめの燃料に重油が用いられることが多くなりました。窯の規模によって一定しませんが、ぬくめの作業が30〜40時間経過すると、炎は上方へ上がり、各袋(焼成室)に設けられている両側のアナから、燃料の松割り木を次々と投入する本焼きに入ります。こうして室内の温度は約1,300度に達します。この焼成に要する時間は約60時間で、昼夜兼行で作業が行われます。登り窯の数倍を要した穴窯による長時間の焼成は、緑色または鳶(とび)色を帯びた自然釉の美を生み出しましたが、登り窯における焼成は、燃料である松の灰と人口釉との融合によって、鮮やかな窯変美を生み出すのです。

窯出し
窯焼きが終わると、焚き口や燃料の投入口であるアナは粘土で密閉され、約一昼夜の冷却時間を置いて「窯出し」すなわち焼成品の取り出し作業を行います。窯入れからこの窯出しまではほぼ一週間を要しますが、現在ほとんど全面化した個人窯の場合の所要時間は若干短くなっています。

ガス窯・電気窯・重油窯による焼成
現在最も普及しているのが電気窯による焼成です。昭和から平成にかけて、短時間で焼成でき、大きな花入などを量産できる大型のガス窯が急激に普及しましたが、平成に入り日用食器の生産が中心となり、小ロット短納期に対応するため、電子制御で温度管理ができる小型の電気窯を導入する窯元が増加しています。


