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たさうら
profile
畠 賢(はたけん)

profile
畠 賢(はたけん)
初代
生まれ年:1970年
作陶開始年:1997年
学歴・修行歴
1990年京都府立陶工高等技術専門校研究科修了
京都府京都市で川尻一寛氏に師事
1996年京都市工業試験場陶磁器コース専修科終了
兵庫県多紀郡今田町で西端正氏に師事
主な受賞歴
2009年 神戸ビエンナーレ現代陶芸コンペティション審査員特別賞

The state of the workshop
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Works


撮影:青谷 建
Interview
作為をそぎ、作り手の空気感をまとううつわ。たさうら・畠賢の丹波の山すそでの静かな営み
装飾をそぎ落とし、手数を差し引いた先に残る気配
工房の窓からは、柔らかな山並みが見える。季節ごとに表情を変える丹波の自然が、たさうら畠賢さんの日常に欠かせない一部だ。棚に並ぶ白いうつわは、柔らかで優しいマット系。シンプルな美しさをたたえている。
「意識しているのは、とにかく手数を少なくすること。装飾や技法で着飾るよりも、削ぎ落として、引き算で完結させるのが好きなんです」
畠さんが大切にしているのは、形や色の正解ではない。そのうつわがまとっている「空気感」のようなものだ。料理に作り手の味がにじむように、やきものにもまた、その人の生きる姿勢が鏡のように映し出される。
「しっかりした形を作ろうとか、この色に決めてやろうという気負いは今でもないんです。ただ、自分の『好き』という感覚だけは、昔からずっと揺るがない。それを形にしていくだけですね」
加えないこと、飾らないこと。それは時に、華やかに装飾するよりも難しい。手を加えすぎれば、そこにあるはずのなにかが消えてしまう。その絶妙なさじ加減を、畠さんは大切にしながら何かを探している。

早く家を出たくて選んだやきものの道が、30年の軌跡に
畠さんは東京で生まれ千葉で育った。中学入学時、両親が祖父の身の回りの世話をするために、祖父の住む丹波篠山市今田町に移住した。中学・高校をこの地で過ごした畠さんにとって、陶芸は最初からあこがれの対象だったわけではない。
「僕は美術に興味があったわけではありません。親が誰かに陶芸をさせたいという思いがあったようで。でも僕は、とにかく早く家を出たかった。気質的に勤め仕事は向いていない自覚だけはあったので、『やってみようかな』くらいの軽い気持ちでやきものの世界に入りました」
高校卒業後、京都で8年間に及ぶ陶芸の勉強や修業期間を過ごす。最初の2年間は1人暮らしを楽しむことを優先して、本業がそっちのけだった。ある時ふと「できないままでいるのはちょっとな・・・」という気持ちが芽生えた。
「若さゆえの、誰かに見下されたくないという意地ですね。それがきっかけで、気づけばムキになって土に向かっていました」
8年の歳月は、畠さんのなかにやきもの技術の基礎を築き上げた。やがて「いつか地元に帰って自分の工房を持つ」という静かな決意へと変わっていった。
今田町に戻って独立したのは1997年。その時から「手数を少なく」という意識は当時から揺るがない。

庭木を世話し、コーヒーを淹れる。完結した世界で研ぎ澄まされる感性
畠さんは相棒の愛犬と暮らしながら、自分のリズムで日々を営む。
「気分が乗らない時は、ふっと仕事から離れることもあります。自分一人だけの責任で完結できる環境だからこそですね」
作陶以外の時間は、もっぱら工房の周りの環境を整えることに費やす。草を刈り、庭木を剪定し、時には重機を操って庭木を移植する。
「基本、雑然としているのが嫌いなんです(笑)。自分が気持ちよく暮らせるように、自分の手で場所を整える。それが僕にとって心が満たされる時間ですね」

お気に入りの店の豆を静かにドリップし、好みのカップを温めてコーヒーを淹れる。その一連の所作の中で、ふとした静寂が訪れる。その一瞬にひたるひとときもまた、旅のようなものなのだという。
「自分の好きなものに囲まれて、それを大事に使い、手入れしながら過ごす。それが僕にとっての幸せの定義ですね」
窯の名「たさうら」は、父の家の裏にある古い窯跡『太郎三郎(たさうら)窯』から名付けた。ひらがなにしたのは、この土地の柔らかな山並みのような響きを「たさうら」の文字面に感じたからだ。
「ここら辺の山は低くて、形がやさしいでしょう。見ているだけでホッとする。丹波を訪れる人は、季節ごとの景色を楽しみながらゆっくり歩いてみてほしいですね」
窓の向こうに広がる四季の移ろいを感じながら、畠さんは今日も、不要なものをそぎ落として「好き」の純化を続けている。その静かな余白が、彼のうつわを手に取る人の心に、凪のような平穏をもたらすのかもしれない。



