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たんさい
profile
今西徹(いまにしとおる)

profile
今西徹(いまにしとおる)
三代目
生まれ年:1963年
作陶開始年:1992年
学歴・修行歴
大阪美術学校 卒業
たち吉

The state of the workshop
スクロールできます









Works


撮影:青谷 建
Interview
スピードと効率が強み。大量生産の全盛期を支えた窯元たんさい・今西徹の、時代の波を見据える柔軟なまなざし
速く、正確に、美しく。大量生産を支えた合理精神が生んだ百貨店さながらの多彩さ
丹波立杭焼のなかで随一、大量生産に応えてきたたんさい。
かつて、全国に顧客を抱える通販会社からの大口注文に応えた実績を持ち、【予熱ー焼成ー冷却】工程を一括管理できる「トンネル窯」を42時間稼働させ続けたという時代を経てきた。
2階建ての工房の、1階は成形、2階は乾燥場。翌朝には製品が仕上がる、スピードと効率の両輪を極めた生産体制を整えてきた技術力を誇る。
たんさいの脈々と受け継がれてきた歴史から、「同じやきものを大量かつ迅速に仕上げること」「無駄なく確実に」という職人の矜持が、大幅に業務縮小した今も宿っている。
現在のたんさいの指揮をとるのは今西徹さん(以下、徹さん)。息子さんと2人で窯元を支える。

たんさいのギャラリーに入ると、まるで器のセレクトショップを訪れたかのような心躍るラインナップ。伝統的な焼き締めから、現代の食卓を彩る鮮やかな色使いまで、一軒の窯元が生み出しているとは思えないほどの多彩さだ。
徹さんはこれまで、あらゆる顧客の大口注文に応えてきた。こんなものがほしいという要望があればひとまず作ってみる。近年では立杭に訪れる外国人客の声に応えて、徹さんでも「大きすぎるよね」と苦笑いするようなメガサイズのマグカップを作り、密かに人気があるという。
技術の研鑽は怠らない。だが遊び心も忘れない。家族として迎え入れたトイプードル”きなこ”ちゃんの愛らしい肉球や尻尾という日々感じる小さなしあわせが、徹さんの手を通じてうつわの意匠へと姿を変えることもある。
量産対応するときは速く正確に、自由に作品を作るときは遊び心を働かせて作陶する。両方を行き来できるメリハリこそが、たんさいの強みだ。

うつわ大量生産の激動の高度成長期で体得した、迅速対応と効率化
徹さんが中学生の頃のたんさいは、やきものの大量生産を可能にした、立杭では随一の「トンネル窯」を持ち、20人もの職人が行き交うような広大な作業場を構えていた。朝から晩まで工場が稼働するような多忙さで、やきものを運ぶなど徹さんも力仕事要員として駆り出されることが多かったと振り返る。
高校卒業後、美術学校で2年学んだ徹さんは、父の意向により和食器通販大手の「たち吉」に就職し、和食器の流通を学ぶ。8年間、全国の百貨店を月4〜8回巡り、多彩な商品情報を売場担当に共有したり、陳列を整えたりする営業の仕事に従事した。
「京都と丹波では売り物が全く違う。瀬戸をはじめ、いろんな産地のメーカーの方と話をして刺激的でしたね」
退職して窯元に戻ると、仕事の勝手が違うため相当な苦労をしたという。営業なら伝票一枚で済む。しかし窯元では注文を受ければ、自らの手で作らなければならない。特に登り窯は色の出方が毎回違うのが当たり前。結婚式用のうつわなど納期が決まっている注文では、在庫管理と品質の均一化に神経をすり減らした。
「当時、納期に間に合わない窯元は相手にされない時代。綱渡りのような日々でしたね」
時代の移り変わりとともにうつわのニーズも取引先も変わり、事業を大幅に縮小していったという。
2023年、長年ともに歩み、たんさいを支え続けてきた最愛の奥様が他界。深い喪失感のなか、父の背中を追うように息子さんが帰郷した。かつて20人で回していた工房は、今、父子2人の新たな呼吸で動き始めている。
「ありがたいですね。息子にやきものをやって良かったと思ってもらえるようにこれからもがんばらないと」と、愛犬をなでながら徹さんは静かに語った。

環境の変化を受け入れ、新たな道を探る
万博を契機に、立杭を訪れる外国人観光客の姿が増えた。日本人の倍の量のお茶を飲む彼らのために大容量の茶器を作る。ニーズに応える柔軟さは、かつて大量生産で培った感覚が生きている。
「これまでと同じことをやっていても、生き残れない。違う釉薬を試したり、新しい材料を探したり。環境の変化を見つめていきたいですね」
徹さんは大量生産の全盛期を体感しているからこそ、変化を恐れない。削りかすさえ無駄にしない効率性。注文に応える確実性。そして今、新たな時代に適応する柔軟性。次の一手を楽しむ徹さんのまなざしは、たんさいの新しい歴史を静かに、確実に描き出している。




